2005年12月19日

メモ 台湾と沖縄

沖縄タイムス2005年6月17日「牡丹社事件130年ぶり和解」
 台湾側子孫ら、犠牲者の遺族に謝罪
「一八七一年、台湾の屏東県牡丹郷に漂着した琉球の住民五十四人が原住民族・パイワン族に殺害された牡丹社事件(宮古島民遭難事件)で、台湾側関係者の子孫ら十八人が十六日、来 沖し、那覇市の護国寺で犠牲者の墓を参拝した。訪問団が犠牲者の遺族に謝罪し、事件から約百三十年ぶりに“和解”が実現した。」
「牡丹社事件(宮古島民遭難事件) 琉球王府時代の1871年、那覇に年貢を納めた帰りの宮古の貢納船が暴風雨で遭難し、台湾南部に漂着した。乗員69人のうち3人が水死、残りは台湾原住民族・パイワン族の集落、牡丹社に救助を求めたが、54人が殺害された。生き残った12人は翌年、中国・福建省を経由し那覇に帰った。事件の報復を口実に、明治政府は74年、近代日本最初の海外派兵「台湾出兵」を強行した。」


asahi.com 社説・コラム2005年6月27日〈礎海〉平和の礎、緑陰の追悼 石に刻まれる戦争の記憶たち●沖縄と中台、歴史の交差
「台湾と琉球・沖縄とは地理的・歴史的に近く、地政学的緊張もしばしばだった。1871年、琉球・宮古の漂民54人が台湾屏東牡丹郷の先住民パイワン族に殺害された。日本は3年後、この事件を口実に台湾出兵を敢行した。近代日本の最初の組織的海外派兵だった。今月中旬、パイワン族の子孫20人が沖縄を訪れ、事件を謝罪し、犠牲者を祀(まつ)っている那覇市内の護国寺に参拝した。「台琉和解」を台湾のメディアは大きく取り上げた。」

posted by palala at 03:57| ホノルル ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
元気かー!?
忙しそうね。久しぶりの更新が台湾と沖縄をキーワードにしたメモでびっくりしたよ。
日本帝国主義のはしりとか?近代国家意識の目覚めとか?なんのお勉強なんでしょう??
とにかく、頑張ってそうね。ひさもやらなきゃー(>_<)
Posted by hisa at 2005年12月21日 21:20
もう終わったよー。最後は大変でした。ふう。来学期はもっと効率よくやらんとなあー。ペーパー書く時間がぜんぜん足りなかった・・・

これはですね。
カルチュラルスタディーズの理論と歴史という授業の課題でテクストを選んで論じましょうというのがあって、人類館を選んだわけさ。

そのなかで人類館事件と、そのころの日本、沖縄、台湾の関係を「展示・博覧会の政治性」とかいう議論を使って一部書いたわけ。このメモは、その報告をしたときに台湾の学生が教えてくれた2005年6月の「謝罪」についてなのでした。

それはそうと。hisaもあと一ヶ月ないね。風邪引かないように気をつけないとね!応援してるよーがんばれー!!

Posted by kozupalala at 2005年12月22日 16:17
じじ人類館!難しいところに切り込んだねー。
すごい。がんばってそう。。お疲れ様っす。

にしても、報告を聞いて今年の「謝罪」のことに思い当たるなんて、その学生すごいね。台湾にとっての「人類館事件」ってどんな風に伝えられているのかなあ?
沖縄じゃ知っている人自体が少ないと思うんだけど…。
Posted by hisa at 2005年12月23日 01:07
あ、「謝罪」は人類館とは別だね。。
いや、そんな。なんだか逆だよなーとは思っていましたよ!
…すみません、勘違い爆走してました。
Posted by ひさ。 at 2005年12月23日 01:10
うん。謝罪は台湾側からの1871年の事件に関して。

でも日本・琉球(当時)からの台湾出兵の謝罪ってされてるのかね。出兵だけで終わっていないけど。

台湾の占領のために当時の琉球からもたくさん人が駆り出されたのに、台湾側だけが謝罪するのもどうかなと思ってメモに残しておいたのでした。

その学生も1871年の事件自体はよく知らなくて、でも娘が大学受験のとき2005年6月の「謝罪」が取り上げられていたことを覚えていたんだよね。ちなみにこの学生は台湾ではおそらく大学かどこかの先生。
Posted by kozupalala at 2005年12月23日 03:05
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