2007年03月28日

アメリカ合衆国によるハワイの軍事化の起源:侵略と占領(2)

Bカラカウア王の後継者であるリリウオカラニ女王がかつてのハワイ王国憲法条項の復活を試みた際、ハオレのクーデター指導者らはアメリカ合衆国の聖職者ジョン・スティーヴンスと米軍のハワイ上陸を企てた。1893年1月17日、米艦ボストンからの米海兵隊は女王の王権剥奪を支持した。ワシントンDCの指導者は協定に従い軍事行動を否認するであろう、と期待した女王は、流血の惨事を避け中立状態を保つため、一時的に米軍に降伏した。だがアメリカ合衆国大統領クリーヴランドが米軍のハワイの侵略の非合法性を認めていたにもかかわらず、アメリカ合衆国は王国復活のための行動はとらなかった。

Cアメリカ合衆国への併合につながる2つの協定を阻止するためのハワイ国民の抵抗もむなしく、米西戦争の勃発はハワイの全面的軍事占領の引き金になった。7月16日、議会はハワイの占領を正当であるとする両院共同決議案を可決した。実質上ハワイは一夜のうちにアメリカ合衆国の巨大な軍事的企ての中枢となり、アジアへの帝国の襲撃のための発進地となった。

Dアメリカ合衆国による占領は、ハワイに抑制のない軍事拡大をもたらした。パール・ハーバーにおける海軍基地建設は1900年に始まり、ハワイアンの36つの養魚地を破壊し、これまでの豊かな食糧供給源を巨大な海軍基地に変えた。まもなくこれに、シャフター駐屯地、デルーシー駐屯地、カメハメハ駐屯地、ウィーヴァー駐屯地、そしてスコフィールド兵舎の建設が続いた。メイコム軍司令官は「オアフは鉄条網として強化されるべきだ」と記した。1898年から1941年までハワイは、政治とビジネスを支配したハオレ・オリガーキー、そしてハワイにおける非白人人口の多くを占めるカナカ・マオリとアジア人移住者の支配を強化した軍隊に統治された。
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2007年03月26日

アメリカ合衆国によるハワイの軍事化の起源:侵略と占領 (1)

@ハワイの軍事化は、アメリカ合衆国の白人至上主義的指導者の、アジアの市場への接近と資源獲得への欲望よって推し進められた。19世紀、ハワイはアメリカ合衆国、イギリス、フランスを含め十数の国々と独立王国としての協定を結んでいたが。しかし合衆国指導者は戦略的位置、さらに燃料補給地としてのハワイの侵略を目論んだ。

A1873年、米国の軍事探偵はワイオミ(現在のパールハーバーの原名)を「太平洋の中枢(key to the central Pacific Ocean)」とした。1887年、ハオレ(白人外国人)商業指導者と宣教師の子孫らはクーデターを企図し、政権をハオレに転じ、さらにほとんどの非白人人口の公民権を剥奪する「銃剣憲法」をむりやり立法化した。これによって政変リーダーは、ハワイ産砂糖の関税を減らす代わりに合衆国によるパールハーバー独占使用を譲渡する互恵条約を採択したのである。

(ハワイの軍事化と抵抗についての概要 DMZ-Hawai‘i / Aloha ‘Aina レポート, by Kyle Kajihiro)

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2006年04月13日

ハワイ州議会での動き

沖縄の米軍基地縮小を求める決議案を審議する動きがハワイ州議会で起こっていることをお伝えしてきましたが、今日の夕方琉球新報ではじめて掲載されました。
「再編より削減を」

決議案本文下院議員の公聴会リポート決議案の現在のステイタスはリンクをクリックしてご覧ください。)

この決議案は私や他の沖縄出身の留学生が関わっているハワイ・オキナワ・アライアンス(夕刊では「ハワイ沖縄同盟」と表現されていましたが^^;)というグループが、今年の2月にヘリ基地反対協の安次富浩さん、普天間爆音訴訟メンバーの栄野川安邦さんをハワイにお招きしたときから、ハワイの沖縄系下院議員であるデニス・アラカキ氏とマイリ・シマブクロ氏に働きかけてきたものです。両議院は大勢の下院議員との昼食会を企画し、安次富さん、栄野川さんに沖縄で起こっている事件事故、そして地域で脈々と続いてきた反基地運動について「証言」をしていただく機会を設けてもらいました。あのお二人のお話が、下院議員に強いインパクトを与えたのだと思います。

地元ハワイで反基地運動、主権運動に取り組んできたネイティブ・ハワイアンや日系のローカルも辺野古での座り込みに限らず沖縄におけるさまざまな形での反基地運動に連帯を示し、私たちの活動をサポートしてくれています。2人は3月31日の公聴会でも証言をしてくれました(その一人の証言文を以下に添付しました)。

公聴会には、他にも沖縄系の女性、ローカルテレビ番組のプロデューサーだという白人男性が基地縮小を求める決議案をサポートする証言をしていました。

夕刊で「再編より削減を」と表現されていましたが、この決議案を強くサポートしてくれているのが、オアフ島25%を米軍基地に占領されていることに対し反対運動をしてきたハワイの地元の人々であるということを、ぜひ周りの方々にもお伝えください。宜しくお願いします。

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Kyle Kajihiro (カイル・カジヒロ)氏による公聴会での証言

公聴会での証言
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2006年04月06日

決議案の詳細

ハワイの州議会で、沖縄における米軍基地のプレゼンスを縮小ようもとめる決議案が通過した
「通過中」です。先週下院を通過し、今週以降に上院の委員会による聴聞会が予定されています。重要な点を誤って伝えてしまい申し訳ありません。
詳細はこれから掲載していく予定です。
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2005年12月28日

ハワイの軍事関連施設ツアー+ゲート前ご飯持ち寄り集会

12月26日はオアフ島の西北にある軍事保留地Makua渓谷ゲート前でのクリスマスの祈り+ごはん持ち寄り集会に参加した。たどり着くまでの間、連れて行ってくださった方々からハワイの軍事化、軍事施設について教えてもらった。

パール・ハーバー
−ハワイの軍事基地化は1870年代から始まっていた。1876年に発効した互恵条約によりサトウキビの関税が撤廃され、ネイティヴ・ハワイアンの養魚地が集中していたパール・ハーバーは軍事施設として使用されることになった。これは1873年の米国本土からの「軍事視察」を機に高まったハワイの軍事化への関心と、プランテーションの経営者らの米国本土への市場の拡大への期待の結果であった。
−日本軍による攻撃後、パール・ハーバーの軍事基地としての重要性はより高まった。海は放射能汚染物質、PCBなどの化学物質で汚染されており、そこで獲れる魚介類は有毒である。そういった警告があるにもかかわらずやむを得ずそこで釣った魚を食する人はまだいる、という。

ワイケレ峡谷
−化学兵器倉庫として使用されている。

ルアルアレイ渓谷
−海軍無線送信施設があり潜水艦とも交信可能な海軍のタワーが2本そびえ立っている。電波の影響で発ガン率も高いという。またこの施設には核兵器が貯蔵されている。

マクア渓谷
−1940年代から軍事目的で使用されてきた。火事など事故も多い。割譲地や借地などで構成される約4900エーカー(2.6km2)を占める施設内には、ネイティヴ・ハワイアンが宗教的儀式などを行ってきた歴史のある場所が含まれており、軍事目的での使用、実弾訓練による土地の破壊への反対がなされている。現在は訴訟のため06年1月半ばまで訓練は停止される予定。

−今日のご飯持ち寄り会はこのマクア渓谷訓練施設ゲート前で行われた。フェンスにはバナーが掛けられ、ゲート前の道を通りすぎる車からは声援も。自己紹介後、参加者からはこれまでどんな運動に関わってきたのかということや、現在は立ち入りが制限されているマクア渓谷に対する思いなどが話された。少し暗くなってきたころには持ち寄ったごはんを食べた。
DSCF0404.JPG
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OahuCloseUp. Makua Valley.gif
地図(Makua Military Reservation http://www.25idl.army.mil/makua/ より)を見ると軍事施設はオアフ島の西寄りに集中している。またオアフ島西は東に比べ農業に適さない土地が広がってもいるという。だが1921年のホームステッド法によりネイティヴ・ハワイアンに使用が許可された土地の多くは西側にある。連れて行ってくれた方はこれを“Environmental Racism”だと話していた。

posted by palala at 09:27| ホノルル ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | ハワイ・米軍基地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月23日

UARCその2

研究者・学生のための「研究費・リソースの確保」がUARC設立賛成派の理由であった。が、
11月中旬、大学教職員評議会(faculty senate)の投票で、ハワイ大学(UH)へのUARC設立が31対18で反対された。
12月上旬、これに続いて臨時総長(interim chancellor)も反対の意を表明した。
最終的には大学評議会(board of regents)の投票によって決定される。
大学評議会(board of regents)のメンバーはUHの他大学・カレッジ(ヒロ校、オアフ西校など)やコミュニティの意見をさらに聞いてから最終決定をする、と話している。

2005年秋学期間何度か関連イベントに足を運んだが、大学教職員の議論や投票の場(挙手による)がコミュニティに開かれているのはよかった。

議論の場には、AFSC(American Freands Service Committee)やDMZ Hawai'i(Demilitarization Hawai'i)のメンバーがStopUARC/SAVE UHのTシャツを着て参加し、またビデオを撮るなど議論のやり取りをチェックする体制をとっていた。
posted by palala at 04:05| ホノルル ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハワイ・米軍基地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月19日

メモ 台湾と沖縄

沖縄タイムス2005年6月17日「牡丹社事件130年ぶり和解」
 台湾側子孫ら、犠牲者の遺族に謝罪
「一八七一年、台湾の屏東県牡丹郷に漂着した琉球の住民五十四人が原住民族・パイワン族に殺害された牡丹社事件(宮古島民遭難事件)で、台湾側関係者の子孫ら十八人が十六日、来 沖し、那覇市の護国寺で犠牲者の墓を参拝した。訪問団が犠牲者の遺族に謝罪し、事件から約百三十年ぶりに“和解”が実現した。」
「牡丹社事件(宮古島民遭難事件) 琉球王府時代の1871年、那覇に年貢を納めた帰りの宮古の貢納船が暴風雨で遭難し、台湾南部に漂着した。乗員69人のうち3人が水死、残りは台湾原住民族・パイワン族の集落、牡丹社に救助を求めたが、54人が殺害された。生き残った12人は翌年、中国・福建省を経由し那覇に帰った。事件の報復を口実に、明治政府は74年、近代日本最初の海外派兵「台湾出兵」を強行した。」


asahi.com 社説・コラム2005年6月27日〈礎海〉平和の礎、緑陰の追悼 石に刻まれる戦争の記憶たち●沖縄と中台、歴史の交差
「台湾と琉球・沖縄とは地理的・歴史的に近く、地政学的緊張もしばしばだった。1871年、琉球・宮古の漂民54人が台湾屏東牡丹郷の先住民パイワン族に殺害された。日本は3年後、この事件を口実に台湾出兵を敢行した。近代日本の最初の組織的海外派兵だった。今月中旬、パイワン族の子孫20人が沖縄を訪れ、事件を謝罪し、犠牲者を祀(まつ)っている那覇市内の護国寺に参拝した。「台琉和解」を台湾のメディアは大きく取り上げた。」

posted by palala at 03:57| ホノルル ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月22日

UARC(University Affiliated Research Center)の設立をめぐる動き−1

ハワイ大学では、UARC(University Affiliated Research Center)の設立をめぐる動きが起こっている。

UARCとは、「反戦翻訳団」によると、「軍学共同技術開発センター」と説明されるように、米軍の研究機関である。それをオアフ島ホノルルにあるハワイ大学マノア校に設立するというのだ。

同Webサイトによると、2005年4月から「ハワイ先住民団体、学生、大学教職員、反戦活動家、宗教団体」によるUARC設立反対運動が始まっている。

同反対運動のWebsiteSTOP U.A.R.C. and Classified Military Research at UHでもこれまで、これからの活動内容が紹介されている。

最近は、
9月15日:STOP UARCコンサート@キャンパス・センター
9月19日:「ネイティブハワイアンの学生の視点からみたUARCの意味」@UH教育学部
9月21日:大学評議員会によるUARC設立についての説明@UH LawSchool
などの動きが起こっている。

推進側/反対側の論点については次回にて。
posted by palala at 17:30| ホノルル ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月06日

レクチャーシリーズ

あきさみよークラブ・沖縄が今度レクチャーシリーズを開催します。
連絡を担当してくださる方に紹介しますので、参加されたい方はコメントをお寄せください。

■■■第5回レクチャー・シリーズ■■■


発表者:ノナ・モスコウィッツ (米国ヴァージニア大学・東京都立大学客員研究員)

トピック(仮):小笠原・父島での調査の報告〜アイランド・アイデンティティとは?〜

※ノナ・モスコウィッツさんは8月まで約1年間、小笠原の父島でアイランド・アイデンティティをテーマに調査を行っていました。このたびアメリカへ帰国することになり、その前に沖縄へ遊びにくることになりました。そこで今回、彼女の調査について報告をしてもらうことになりました。

日時:2005年9月20日(火)午後7時〜(約25分)※ディスカッションを含めると60分〜90分になる可能性があります。


場所:移民研究センター(総合棟6階), 琉球大学内


※当日は資料を用意する可能性があります。参加の是非(遅れる場合も含めて)

以下のメルアドに早めの返信をお願いします。質問なども以下にどうぞ。

okinawa_akisamiyo@yahoo.co.jp
posted by palala at 09:41| ホノルル ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 予定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月04日

8月31日授業内容メモ

今日はBamboozledの続き+リーディングの内容についてディスカッション。
議論に割り込んで話すためには、言うことを細かく用意して望まなければということを痛感。
授業は、この映画が言わんとしていることをmass media/ representation/ appropreation/ commdification/ resistence/ performanceという概念で説明せよという問いから始まった。

授業を終えて話を聞き、ノートに取ったこと、感じたことをまとめるとこうなるだろうか(映画はもっとたくさんのメッセージを持っているに違いないんですが)。
「現代のアフリカン・アメリカンが自らを表象によって抵抗しようとするが、資本主義社会の中すぐさま抵抗は商品化され、そして領有されてしまう」

映画が伝えていることをこうまとめると、"...in the struggles of urban youths for survival and plesure inside capitalism, capitalism has become both their greatest friend and greatest foe."(Robin D.G. Kelley,'Looking to Get Paid'in Yo' Mamas Disfunktional: Fighting the Culture Wars in Urban America, Boston: Beaocon Press, 1997, p77) がかさなってきた。

映画のなかで語られるフレーズもとても印象的だった。
posted by palala at 06:25| Comment(0) | TrackBack(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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